こんにちは!吉祥寺&町田のショートボブ美容師【イイノタカユキ】です!
今回は美容師になって1年目の時を振り返ろうかと思います。
15年前なので記憶も曖昧になりかけてますが、小さい脳みそからなんとか掘り出した1年目エピソードをお送りします。
目次
・あこがれの上京。ここが東京・・・?
・まるで軍隊?声が枯れるまで社訓
・高卒VS美卒
・まさかの1ヶ月半で離脱
・復活からの猛特訓
・まとめ
以上の6つでお送りします。
では、どうぞー。
あこがれの上京。ここが東京・・・?
今はかなり少数派ですが自分は高校卒業した後に美容室に就職しております。
通信制で美容学校に通っていたということです。
茨城の片田舎の高校に就職案内がきてたのが当時入社した会社でした。
高卒でもOKで寮があるという条件だったので「美容師興味あったからココなら始めやすいな」という気持ちで応募し、面接を受け、無事に内定をもらいました。
茨城といっても千葉よりなので原宿や渋谷には高校の時からよく行ってました。
なので、東京に住めるっていいなーと期待に胸を膨らませていました。
入社日が近づいてきて案内が送られてきました。そこには寮の住所も記載されていました。
「東京都福生市」と記載された住所を見て「どこだ?なんて読む?ふくせいし?」というかんじでした。
当時はスマホなどなくガラケーでしたので福生市をすぐに調べることはできなかったのですがあんまり深く考えず「東京だし問題ないか」と考えていました。
そして、寮への引っ越しの日。
車で二時間半ほどでついた福生市の寮は自分が思い描いていた東京とはかけ離れていました・・・。
地元の風景とそこまで変わりなく、眠ってる間に茨城の知らない街に行っただけかと錯覚しました。
そして寮も3DKを3人でシェアするというモノでした。
もちろん3部屋あっても広さは全て違うので同部屋の同期とジャンケンで決めました。
なんとか6畳の部屋を確保できましたが築年数もなかなかな物件でエレベーターなしの4階で階段の電気が所々切れているという心霊スポットかのような寮でした。
あこがれの上京とは程遠い現実を味わいました。
まるで軍隊?声が枯れるまで社訓
「あこがれの上京とは違ったけど、住めば都だろうし、何より美容師になりにきたんだ」と気持ちを切り替え着慣れないスーツで入社式に行きました。
上層部の挨拶があり、お昼休憩を取り、その後に社会人の洗礼を受けるのでした。
会社理念や社訓があり朝礼で読み上げる朝の誓いというものがありました。
それを大声で何度も読み上げるという時間がありました。
高卒でまだまだ学生気分の抜けない自分としては「宗教っぽいし、大声とか恥ずかしいし」と思っていると「声が小さい!!」と上司に怒られるという地獄のような時間を過ごしました。
「美容師にこんな声出し必要なの?」「大丈夫かよココ?」と思いながら結果的に14年いたので大丈夫だったのだと今では思います。
研修の期間でワインディングというパーマのロッドを巻く技術の講習がありました。
「おお!美容師っぽい」ととても楽しかったのですが、高卒で美容師の仕事を全く理解してない自分はワインディングが全くできませんでした。
「初めてだからこんなもんか」と悔しい気持ちもありましたが自分に言い聞かせました。
高卒VS美卒
高校を卒業して就職した人と美容学校を卒業して就職した人が同期として入社してました。
もちろん年齢も美容学校卒の人のほうが上です。
前述のワインディングも美容学校では習うので始めからある程度できています。
やはり同期といえどスタートの時点で差があります。
美容学校卒の人たちからすれば高卒組は年下だし技術もできないしで同じに見られたくない感はひしひしと感じていました。
そして高卒の自分は若さと勢いしかないのでムダに対抗心を燃やすのでした。
勢いだけなので空回ししたり、ナメられたりしてました。
シャンプーのテストも一回では受からず、ワインディングも相変わらず苦手・・・。
同期の美容学校卒はそつなくこなしどんどん上がっていきます。
それでも内なる対抗心は常に燃やしていました。
まさかの「粉砕骨折」で1ヶ月半で離脱
一ヶ月半ほど経ち、少しずつ慣れてき始めた頃でした。
「美容師なんだから髪色も派手にしなきゃ」と若気の至り全開で休みの日にお店にカラーをしにいきました。
ブリーチをして赤のマニキュアで真っ赤にしました。
「おー美容師っぽい」と今では絶対に思わないだろうけどその当時はとても気に入っていたのを覚えてます。
ルンルン気分で家路に着こうとバイクに乗っている時でした・・・。
交差点を直進していると対向車線から急に右折をしてくる車が・・・。
目の前に来てぶつかったと思ったその後は救急車の中でした。
ハッと目が覚めたが左半身に激痛が走り、身体が動かせない。
「事故ったんだな・・・」と思ったのと同時に同部屋の同期と二人乗りをしていたのを思い出しました。(中免なので二人乗りはOKです)
「後ろに乗ってたヤツはだいじょうぶですか?」と焦りながら聞くと「かすり傷程度だよ。君の方が重症だよ」と。
そこはとても安心したのを覚えてます。
ヘルメットを取った救急隊員が「頭が真っ赤だ!!」と驚いてて「それ髪染めたんです!」と答えて意識がなくなりました。
次に起きると集中治療室で、診断結果は「粉砕骨折」でした。
「左の手首の骨が粉々だねー。もう多分元通りには動かせないねー。」と医者が軽い口調で言っていたのはよく覚えてます。
美容師としての命の手を美容師になりたての一ヶ月半でダメにしてしまいました。
いろんな方に心配や迷惑をかけました。
「その節は大変お世話になりました」
この場で言わせていただきます。
その後手術をし2ヶ月の入院とリハビリをする日々を過ごし・・・
復活からの猛特訓
若さと勢いの脅威の回復力を見せ奇跡的に復活!!
粉砕骨折でしたが骨が全て残ってたのでチタンプレートで補強してくっつけてもらいました。
「パズルみたいで楽しかったよー」と言ってた先生は元気かなー。
リハビリでも「痛みは慣れるから大丈夫。どんどん動かして。」と激痛に苦しむ自分を更に追い込む作業療法士さんも元気かなー。
めっちゃ感謝してます!「ありがとうございました!」
当時はムカつきましたが動くようにしてくれるための事だったと思うと感謝しかないです。
サロンにも復帰し、始めは手がうまく動かせないので雑用ばかりでしたが、手が動く事のありがたみをとても感じました。
その後は出来る限り練習や特訓をし、少しずつ技術もできるようになっていきました。
死んでてもおかしくなかった事故なので、生きてるだけでありがたいと思えるようになり大抵のことは「死ぬよりマシ」と思えて無双状態でした。
地獄の30連勤、オールからの仕事、睡眠時間3時間くらいの勢いで遊びも仕事も駆け抜けました。
その後退社までの14年間で新店舗、リニューアルの立ち上げ、主任、店長、プロジェクトリーダー、海外研修、結婚、出産、などなど駆け抜けるように生きてきました。
前職場もいろいろあったけどとてもいい所でした。
まとめ
振り返ってみるとまとまらない位いろいろありました。
まだまだ細かいエピソードがありますが、また別の機会にします。
何よりの衝撃エピソードは「事故で粉砕骨折」ですね。
美容師なりたてで「もう美容師できないよ」と言われ、結果的にできるようになった反動で駆け抜けてこれたと思います。
連続30連勤とかいい思い出だなー(遠い目)
今でも根底は「生きてるだけでありがたい。死ななければ大丈夫」というベースがあります。
たくさんの助けがあって今まで生きてこれてることを再確認しました。
これからも根底を大事に死なない程度にがんばっていきたいと思います。
お時間ある方はこちらもどうぞ↓
https://takayukiiino.com/personal-history-as-hairdresser
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